カテゴリ:街道をゆく( 24 )

つれづれ2

また 兼好法師さんデス。

なんか身につまされた段をひとつ。


「貧しき物は、財をもッて礼とし、老いたる者は、力をもッて礼とす。己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智といふべし。許さざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りなり。
貧しくして分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。 」


ワタシ流の現代語訳(にしおか すみこ風に・・・・汗)

お金がないのにぃ なんでも人にあげようとするのは どこのどいつだぁ~い?

年齢(トシ)も考えずに うろちょろ動き回るのは どこのどいつだぁ~い?

自分の身をわきまえずに できないことまでやろうとするんじゃないよ!

自分の身の程を知ってできることをするのが賢い人のすることなんだよ!

無理するのは 馬鹿野郎だ。

無理させる奴は おかしいんだ!

お金がないのに無理をしたら 泥棒するしかないじゃないか!

体力が衰えているのに無理すれば 病気になるじゃないか!

わかったか! この豚野郎・・・・(泣) 
(ちなみにこの豚野郎って言葉 なんだか 怖いですねぇ・・・)


ちなみに兼好法師さんは こんな乱暴なこと言ってませんよ(当たり前・・・陳謝します)

自分の身の丈を知り、その範囲でつましく誠意をもって生きていきます!
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by minmijb | 2008-12-05 18:23 | 街道をゆく

つれづれに。

へいぞうが 突然

「今 国語の時間に 徒然草 やっとる」 といった。

母は 「あぁ~ 春はあけぼの ってやつ??」

と知ったかぶりをしました。

「違う」とすげなく返事が返ってきました。 すみません。間違えました。

吉田兼好さん 兼好法師さんですね。

あの つれづれなるがままに 思ったことや 伝達事項を書き留めた随筆家ですね。

で、読んでみました。 もちろん 現代語訳つきのをね。

現代にも通じる 伝達事項や思いがつまってます。


兼好法師を 亀仙人のイメージとだぶっていた自分。 

すみません 兼好法師さん。教科書の絵のイメージしかありませんでした。

しかし、へいぞうは授業で どの段を習っているんやろうか・・・

結構 女性について書いてあるんやけど そんなんは授業で

しないんやろうね。 授業でしたら 興味を持って聞いてくれるやろうに。(ホンマかいな汗)

百人一首を エロいと思っている自分。 きっと あるはず!!(何が?汗)

やっぱり亀仙人 兼好法師さん ! ありましたね。 おんにゃのこに

ついて書いてあるのが。

「梅の花かうばしき夜の朧月に佇み、御垣が原の露分け出でん有明の空も、我が身様に偲ばるべくもなからん人は、たゞ、色好まざらんには如かじ。 」


~ 梅の花が咲いて 月夜のいい晩に うろうろと女の子の家をうろうろと ストーカーまがいのことをしたり 女の子の家に忍び込んで こっそり夜明けに窓から逃げ出して朝露をはらいながら夜明けの月を眺める。
そんなことを懐かしいと思いだして 心ときめかすようなことがない男は女の子を好きになっちゃいかんよ~

なんて ことも言っている・・・(訳は 勝手変えてます すみません)

へいぞう・・・そんな経験 これから と いっても もう少し あとにしてほしいけど 

してほしいかも・・・(ストーカーはいかんけど。)

でもって・・・・


「ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝ヰもねず、身を惜しとも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。 」

「まことに、愛著の道、その根深く、源遠し。六塵の楽欲多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑ひのひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。
されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象もよく繋がれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑ひなり。 」


っていう段では

~女の子のささいなしぐさで、男の子はすぐに惚れてまう。
しかも、女の子は、一緒に寝てても、ぐっすり眠ったりはしないで普通なら辛抱たまらんことにも、けなげに応じてくれる。これは 男の子のことを想っているからなんだろう。

人を恋するということは、どうしようもない、気持ちを抑えることは、どうにもできん。
人には六つの欲望があるけども、我慢できなくもない。
でも、どうしても我慢できないのは、女の子を想う気持ち。
これは年齢に関係なく お爺さんでも、若造でも エライ人でもなんにも違いはないよ。

 実はな、「女の子の髪の毛を編んで作った縄には、ぞうさんをしっかり繋いでおくことができ、女の子の足のにおいがする靴で作った笛の音には、秋にうかれている鹿さんがきっとよってくる」と言い伝えがあるくらい女の子は魅力的魅惑的な存在なんやで!
自分をしっかり持って 気をつけてここで一歩踏み込むと「恐ろしいことになる」と思ったり、
いかん! 惚れてまうやろぉぉ~!!
と思ったりしたら自重せなあかんでぇ。~


ってなことを言ってます・・・(汗・・・)非常におもしろいです。

まぁ そんなこと へいぞうに言っても 思春期真っ盛りのカレのこと

「フン!」と鼻で笑うことでしょう・・・

っていうか もしかして 白い眼でみられるかも・・・泣

彼には おんにゃのこにうつつをぬかすぐらいなら 

もっと 愛すべきモノたちが 今は あるようだし。。

●ンプラとか 反逆の●●ーシュ とか・・・ 汗

いづれ 生身の人間(女子限定)に惚れることを切に母は 願っております。




 
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by minmijb | 2008-12-03 18:05 | 街道をゆく

11月15日とは

今日は坂本竜馬の誕生日で命日になります

土佐で生まれ京都の近江屋にて暗殺されています

坂本竜馬は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で巷に広がりました

ワタシもこの本がきっかけで 坂本竜馬と幕末に興味を持ちました

坂本竜馬は 今でいう大変な メール魔 でして。

たくさんの手紙が残っています

手紙の原本を見に京都までいったことがありますが

絵があったり 注釈がついていたりと かなり個性的でおもしろい感じの

手紙でした やはり強烈な個性の持ち主だったのでしょうね

その手紙の中から 今日は印象深いものを少しあげてみます
少し お付き合いを・・・汗

えっと余談ですが、幕末の志士は 結構 句や恋文 残してます

国許に妻子を残していたとしても 京都に別の恋人がいたりして 

いつ死ぬともわからない 自分の身と 恋心と故郷への懐かしさと

そんな激情を つづっていまして 今のように平安な時代では考えられない

生き急いだ感情 生々しい感情が 読んでいて心打たれます

さて、坂本竜馬のお手紙


 面影の 見えつる君が 言の葉を
 かしくに祭る 今日の尊さ

(夢の中でお逢いすることができたあなたの言葉 私はめがさめてただうれしくて手を合わせるばかりだ)

 丸くとも 一かどあれや 人心
 あまり まろきは ころびやすきぞ

(柔軟になっても 信念だけは大事にしちょきや あんまり柔軟すぎたらかえって失敗しやすうなるきに)

 又あふと 思う心をしるべにて
 道なき世にも 出づる旅かな

(生きてたらまた会える。 それを道しるべに知らない世界に旅に出よう)

再来年 の大河ドラマ 竜馬のようです 脚本は誰だろう?

最初 キ○タ○が主役候補だったらしく 「いやだな・・」と思ってた

だって 彼だと 何を演じても 彼の自伝みたくなっちゃうし。

おんなじ演技しかしないし・・・・モゴモゴ・・・・

で 福山さんに決まったそうです かっこいいすね! 彼!

メガネ 似合うし (って、それかい!)
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by minmijb | 2008-11-15 15:17 | 街道をゆく

大いなるまち

ハイジさんたちが奈良に行った・・・ホセさんも行った。

うらやましい。何がうらやましいって 旅行に行くことがうらやましい。

しかもこの週末 ワタクシ 調べ物のため びっちりお仕事に出てました。

ちなみに 少し愚痴らせていただくが、土日 は我が家は ちびっこギャングがいる。

幸いちび太の野球はお休みだったが その分 全員の3食を配給せねばならない。

へいぞうも部活は半日だし。

なので朝早くから せっせと動き回り みんなに配給したのち、お昼まで出勤

でお昼の配給に行き、また夜まで出勤。

がんばれ 自分! 負けるな自分! (なんのこっちゃ・・・汗)

なんで 痩せないのか不思議だわ・・・

さて、

この秋晴れの中 奈良の散策はさぞ 気持ちいいに違いない。

たぶん ホセさんは みんみのためにお土産を物色しているに違いない。

そんな現実逃避的な甘い妄想をいだきつつ・・・

あまりにもうらやましいから 本棚から奈良のことについて書いてありそうな

本を物色してみた。 正直 今まで あんまり奈良に興味がなかった。

なぜだろう。遺跡がいっぱいありそうなのになぁ。

で、 私の独りよがりがりで思っている 心の師匠 司馬先生の本を見てみた


奈良の興福寺について書いてある記述が非常におもしろい。

明治初期政権の際に 神祇官 という人たちがいたらしい。

この人たちが 日本古来からある 神仏が一緒になった思想ってのを

糾弾し、神仏分離をいいだしたらしい。

このせいで 興福寺の僧たちは 春日大社の神職になったそうな。

この時期に五重塔が25円で売りに出され、商人が買い取ろうとしたんだけど

金具だけ剥ぎ取ろうとしたら人件費がかかる・・・

焼いてしまって焼けた後から金具を拾おうとしたら 付近の町から抗議がでた・・・

当然 火柱が上がって危険だしね。

てことで 買うことをやめたらしい。

よかったよかった これ 買ってたらいまの興福寺の五重塔ないね。

明治政府は どうもこれは行きすぎだな と気がついたらしく 廃仏毀釈を

すぐにひっこめて 「古社寺保存金制度」ってのを実施したそうです。

司馬先生は当時の興福寺の僧に対して なかなか辛らつなことを書いてますが

仏教の僧が いきなり 神職に変わっても それを 受け入れる 曖昧さが

日本人らしいな、と私は思います。

っていうか、奈良に行ったみなさんは この話はもう聞いてきたかな・・・
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by minmijb | 2008-10-19 20:58 | 街道をゆく

ようやく

暑い 夏も終わり ようやくすずしい日々がやってきました。

お久しぶりです。

最近は 日常生活の諸々のお仕事のほかに

気晴らしとして ピラティスと 街道をゆく のお勉強をしています。

ピラティスは まだまだ未熟ですが 少しでも精度の高いものに

するため がんばっています。今でも筋肉痛になります。

一向に痩せませんが・・・汗

街道をゆくのお勉強は 某新聞社の教養講座に通ってます。

「ふるさとの幕末維新を読み解く」って題名です。

これは 何回講座だったっけ・・・6回かな。月に1回なので物足りないです。

加賀藩は なぜ幕末に日和見な態度をとったのか

そして本当に日和見だったのか ってことのお話です。

幕末の加賀藩のことを書いた本ってあんまりないように思います。

私が知らないだけかもしれませんが。

私が知っている中では大久保利通を暗殺した 島田一良が加賀藩の人間として名前はあがっていますが。

他にいないような・・・  ちなみに島田のお墓は野田墓地にあります。

加賀藩が日和見だったばかりに それに 憤慨して犯行にいたったとか・・・・
(憤慨してとかっていう 生半可な気持ちではなかったでしょうが・・・)

で、加賀藩のことを 勉強してます。

なんのためにもならんかも しれんけど なんか楽しいです。

やっぱ 歴史 日本史が好きなんだなぁ・・・・

俺様に 「歴史って 結局は 戦争で しかも人の人との殺し合いやろ」

っていわれて 何も返す言葉がでないくらい衝撃をうけました。

確かにそうや・・・ 関ヶ原の合戦の布陣を眺めている自分は

まさに 人の殺し合いの布陣を 嬉々としてみていることになるのか・・・

新撰組は 殺人集団・・・・?その文献を読んだりしてる・・・

だって好きなんだもん!! って 完璧には開きなおれないけど・・・

それでも 日本史 好きなんです。 偉人の生き様や庶民の生活の様子を

みたり読んだりするのがとても好きなのです。

いかんともしがたい。
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by minmijb | 2008-10-16 23:03 | 街道をゆく

近江の国

滋賀県に行ったのですが。不倫旅行で・・・ってしつこいっすね・・・


車窓から見える景色に思いは、遠い遠い昔へ・・・

若干 脳内トリップ・・・(アブナイ人・・・・?汗)

滋賀県は織田信長が安土城を築いたことでも有名ですし、ね・・・

ね・・・って、興味ない人には おもろくない話デス すんません。

姉川という川は、姉川の合戦があったとこで 浅井・朝倉の連合軍と

織田・徳川の連合軍が川をはさんで対峙したとこ。

窓からおでこをくっつけて じっ・・・と眺めたが・・・

思いのほか 小さい川に感じたなぁ・・・

昔はもう少し 川幅があったんやろうか・・・

浅井軍の浅井長政は織田信長の妹のお市の方を奥さんにしてますね。

ここに有名な3姉妹が誕生すると・・・

淀殿  いわずと知れた秀吉の奥さんで秀頼のおかあさん
お初  京極高次の奥さん
お江(おごう) 徳川秀忠の奥さんで家光のおかあさん

同じ姉妹でも、その後の運命が大きく違いますねぇ・・・

人生なにがあるかわからんもんですね。

なんだか とても感慨深く思ってしまします・・・(なんで、といわれても困りますが・・・汗)

彦根藩の藩主となった井伊直政は、家康に大変 かわいがられていたそうです。

勇猛かつ誠実で思慮深く口の重い人だったようです。(司馬先生曰く・・・)

家康は、その直政に 武田家が滅んだときに武田家のめぼしい将士を織田信長の

許しを得て家来につけたそうです。本来 武田家は 赤備えという 具足から鞍から

鞭まで赤を使っていたそうで そのまま 直政も赤にし、

ここに「井伊の赤備え」ができたんですねぇ・・・

直政は、関ヶ原の合戦のときの傷がもとで42歳でなくなります。

破傷風です。関ヶ原の戦いで、島津軍が中央突破で逃げたときに(島津の退け口)

鉄砲で打たれたときの傷がいえなかったようです。

関ヶ原の戦いも興味があって 一度 その場所にいってみたいな、とかね。

安政の大獄で有名な井伊直弼のご先祖さまですね。直政は。

なので幕末も 徳川家に仕える姿勢をくずさずに 守ろうとしたんですね。

藩はそういう色をずっと家訓としてのこしていくんですねぇ・・・しみじみ

幕末の各藩のとった対応と関ヶ原の戦いと結構 因果関係あるように

思えます。これは また今度 まとめてみよう・・・

などと、バスに揺られて ぼんやり思っておりました。

近江は豊穣な土地と地理的にも重要なとこなんで、武将は おさえておきたい

国だったでしょうね。

いいお天気で 琵琶湖がとてもきれいでした。

この湖面をかつての武将がみたんでしょうか

安土城の天守閣から信長は琵琶湖を眺めたんでしょうか・・・

なにを思ってたんでしょうねぇ・・・

ワタシは 次のインターで止まったら絶対にソフトクリームを食べたいと

真面目な顔で湖面を眺めながら 心に誓ってました。
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by minmijb | 2008-07-11 23:47 | 街道をゆく

傾城

以前、「吉原」について 「粋な遊び」である

と、いうようなことを書きました。

それは、吉原の表の部分

裏の部分はみなさんもご存知の通り、人身売買、という

悲しい辛い部分。

7歳か8歳か、売られてきたときから28歳の年季があけるまで

ずっと働かなきゃならない。

自分の食事代、着物代、チリ紙の一枚まで、全部 自分の借金になる。

売れっ子になれば、豪華な生活もできたでしょうが、ほとんどは大変だったでしょう。

じゃあ その吉原がいつ 終わったのか。

明治まで続きます。

で、ある時ですね、ペルーの船が横浜に入港してきます。

そのとき 船から 苦力(クーリー)が夜に逃げ出してイギリスの船に

泳ぎつき、自分たちは奴隷扱いされているから 助けてほしい

と、訴えたそうな。で、この件は 日本におまかせしましょう

ってなことになって、裁判になった そうな。

奴隷売買は国際法で禁止されているから、苦力(クーリー)を広東に返しなさい

と 判決がでたそうな。

が、おもしろくないペルーはただちに抗議。

日本にも奴隷に等しい娼妓がいるじゃあないか。と。

なんだい 自分のところは棚にあげて  って。

で 日本も慌てて、そりゃあ 大変だ、解放すべきだ、ということで 遊女解放令がでた。

これによって 一切の拘束から逃れられ 賃借関係も消滅。

みんなは自由の身となりそれぞれの道へ。のはずだった。

が、しかし。

みんなそれぞれ 新たに 雇い主と契約を

結び、またそのまま いたそうです。結構な人数が。自分の意思で。

みんな 帰るとこがないのか、収入を得る手段がないのか。

そちらも、また、悲しいことですなぁ。

そういえば、先日 ふと 見た記事に いま 人気の高い職業は

「キャバクラ」って書いてあったけど、ほんとかいな・・・
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by minmijb | 2008-06-04 21:09 | 街道をゆく

最後の幕臣②


あまりにも 長文になったので ブログを 2回に分けました。

自分でも読んでて疲れたぞ・・・

さて、と。 第2弾

幕臣で先見性のある行動をしていた人がいました。

「小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)」です。

彼は 日米間史上初の為替レート交渉をしに フィラデルフィア造幣局に
行ったそうです。

そこで彼は

アメリカの金貨と小判の金の含有量を調べそれによって交換比率を決めよう

と 言ったそうです。

アメリカは 遠い国から来た珍しい髪型をした小さな日本人が為替レートを

自分たちよりも十分に理解しているようにみえてショックをうけたそうです。


小栗は

「ハリスが日本にきて江戸で間違った交換比率を要求し日本政府もそれを

受け入れたので日本経済は大損害を受けている。今回の調査でぜひ

解決したい。」

と、言ったそうです。かっこいいですねぇ。(じつはそんな命令はうけてなく彼の独断で言ったらしい)

アメリカは そんなこといわれるなんて思っていなかったらしい。

アメリカの金貨には銀はほとんど含まれていないが、日本の小判には相当量が

含まれているんですね。それを含めれば交換比率は変わってくる。

で、金以外の含有量を調べるには気の遠くなるほど時間がかかる といって

小栗を説得するが どれだけかかっても結構と、動かなかったそうです。

で、調査をすることになり結果は小栗の予想通り 銀の含有量も含めて

交換比率を決定することになったそうです。

「NO といえない日本人」ではなかったのですよ!

小栗が短い生涯でやったことは

①外国との貿易 交換利率の決定

②幕府の行政改革

 役人棒給表を作成し給与体系を合理化した。

③幕府内の無駄な経費の節約
 服装を簡略化し儀式の廃止。賄賂も禁止。城内での老中以下役人の昼食の廃止。
(これは かなり うらまれたようです。)

④新財源の開拓
 奢侈品(ぜいたく品かな)に課税 

⑤財政政策を背景とした近代化に尽力

なんか いまの時代でも同じようなこと やっているように思えるね。

幕府って鎖国体制で近代化には 全く目をむけていないイメージがあったけど

こんな人もいたんやね。

こういう人が出世(?正しい表現ではないかな・・・)しなかったから幕府は

なくなったんだなぁ。物事を先見性を持ってやろうとするとうとまれるんやろうか。

小栗さんは製鉄所を建設し、そこに現代の会社の組織 簿記や雇用システムの

取り入れや職務分掌規定なども協議していたそうです。(一人で考えてたわけじゃあない)

小栗さん 結構好きになりました。
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by minmijb | 2008-05-24 22:55 | 街道をゆく

最後の幕臣

坂本竜馬が好きでして。

何が、好きかって、うーーん なんだろうな。

船中八策やら貿易やらをして日本のはじめての「株式会社」を

構想していた先見性のある人物・・・だからかなぁ

そうそう 坂本竜馬が 書いた手紙ってすごくユニークでたくさんいろんな人に出して

いるんやけど その中のひとつに

「日本をいま一度洗濯いたし候」という有名な一文の手紙があります。

どこかの政党(?)がこの言葉を引用して(たぶん そうだと思う 違ってたらごめんなさい)

使っていますが、どういう意味で 使っているのかなぁ 関係ないのかなぁ。

竜馬はね、いろんな言葉を残してて その中のひとつに

「世の人は われを何ともいえばいい
 
 わがなすことは われのみぞしる」 ってね。かっこいいなぁ・・・・

常に人の意見に左右される自分が ここにいる。。


「世の人は われを何といってるかな
 
わがなすことは われのみぞしらない」 by みんみ
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by minmijb | 2008-05-24 22:32 | 街道をゆく

人ってのは。

最近 ずっと 幕末関連の本を読んでまして。

司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んで幕末を語っているのは

違うだろうと、自戒もこめて ほそぼそと やっております(何を・・・?笑)

ペリー来航から大政奉還までの間の いろんな人の行動や辞世の句なんかもね

読んでいると感銘をうけます。

割と近年であることから史料もたくさんありますし、おもしろいです。

幕府という300年 続いたモノが短期間で なぜ なくなったのか

本当に坂本竜馬などの志士によって大政奉還をなしえたのか

すこしづつ すこしづつ これから 自分の頭の中のパーツをつなげていきたいです。

たとえば 戊午の密勅ってのが朝廷から水戸藩におくられるんやけど

そりゃあ 筋がちがうやろ って幕府が怒って 水戸藩に その密勅を幕府に

返せというわけです。

水戸藩は大変な騒動になります。

この騒動の中に 斎藤留吉という藩士が 憤慨のあまりに割腹するんです

「尽忠報国」と白壁に血書きして。

これをみて慄然としないものはいなかったそうです。


水戸藩はあまりの藩士の激昂をみて 返すのを延期したそうです。

で、その次の週の3月3日 桜田門外の変がおこります。

ここから 混乱の幕末がはじまるんですね・・

一人の人間なんて なんの力もないようでいて こんなにも影響を

及ぼすこともある、そんな歴史の史料に 惹かれてしまいます。



今日もまとまりなくて ごめんなさい。
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by minmijb | 2008-02-25 18:08 | 街道をゆく